変身

 

 

 にゃたろうはぐったりとしていた。
体を動かす気力もない。
ただただうなだれて座布団の上に座っていた。

 天使や人魚らしきものを目撃した。
通常では考えられない生物である。
つまりにゃたろうが自我を失うほど驚いても仕方のないことである。
そして、自我を失ったまま固まっていたにゃたろうは後ろから梓に抱えられて今いるリビングに運ばれたわけだ。

 リビングにはにゃたろうの他に梓、それにリョウ、更にはランまでいる。
リョウは羽をたたんで椅子に腰掛けていたが、ランはにゃたろうの隣で座っていた。おかしなことに、ランには足があった。はじめてみたときは尾鰭だったのだが。
しかし、にゃたろうが気づくはずもない。今どんなことが起こっても感じないのだから。

「さて、どうしたものかな〜」
 能天気な梓の声。
 梓はリョウと向かい合う形で椅子に座ってコーヒーを楽しんでいる。

「予定の時間はとっくに過ぎているんですよね?」
 リョウは優しい笑みを浮かべて自分もコーヒーを口にする。
マグカップの中身は梓のようなブラックではなく、限りなく白に近い琥珀色の液体が注がれている。

「大丈夫ですか?」
 ランがおどおどとにゃたろうの頭を撫でる。
が、やはり反応はなかった。にゃたろうは撫でられている感触を神経から伝わってくる情報として受け取っているのだが、意識が拒絶している。
しかもランの肌は冷たかった。にゃたろうの情報は拒否されるため本人には無駄なことだったが。

「そうなんだけど。間違えたかしら?」
 リョウに対する梓の返答は心なしか不安げだった。

「しっかりしてくださいよ。プロフェッサーアズサ」
 少々嫌味っぽい笑みを浮かべてリョウは告げた。
すると梓は露骨に嫌そうな顔をする。別にコーヒーが苦すぎただけではない。

「しょうがないでしょ。私だってはじめての分野なんだから」
 むっと怒ったように言う。
そんな梓をリョウは優しく見守っている。

「ランちゃん、その猫の様子は?」
 くるっと振り向いてコーヒー片手に尋ねる。
ランはビクっとしたが、すぐにおどおどした態度ではなくなる。

「まだなにも」

「そう」

 そうなのだ。にゃたろうはピクリとも動かずに固まっている。
全然動かないので招き猫かと思ったが、こんな姿の招き猫はいない。第一小判を持っていない。

「あっ……」

「何?」 
 ランが突然声を上げたので、梓はそのまま立ち上がった。
リョウはそのまま座って優雅にコーヒーを楽しんだままだったが。

「始まったわね。思ったより時間がかかったけど。ランちゃん、もう下がってもいいわよ。もしかしたら危ないかもしれないから」
 梓の言葉にランは素直に従った。
すぐにリョウの隣りまでくる。

「どうなるんでしょうね」
 にゃたろうを見ているリョウの瞳が少しだけ険しくなった。

「わからないわよ。でも、成功だと思うけど」
 梓は少し不安げににゃたろうを眺めている。

 にゃたろうから突然大量の水蒸気が噴出した。
口、耳、鼻、穴という穴から一斉に噴出された。

「同じですね」
 静かにランが呟く。その手にはリョウの羽が強く握られていたが、リョウは別に気にもしないように笑顔を浮かべている。
梓は梓で身構えて、じっとしている。

 にゃたろうはそこでようやく自分から煙が出ていることに気づいた。
そこまで思考が止まっていたのだ。
無我夢中で急に動き出すが、間一髪というところで梓に手を握られてしまった。

 まだ水蒸気で部屋の視界は埋め尽くされている。
梓はいち早く察知して、にゃたろうを掴まえたのだ。

「うわわわわっ!?」
 思わず声を上げてしまう。

「ちょっと、大人しくして!」

 すると、更に力強い手ににゃたろうは押さえつけられてしまった。
首に大きな手の感触がある。万力に掴まれたような心境だ。

「……可愛い」
 一人離れたランが呟く。

 徐々に水蒸気が晴れていく。
そのため部屋の湿度は以上に高まり蒸し暑い。

 そして、水蒸気が晴れ渡った中から現れたのは、左手を梓に、首をリョウに掴まれた男の子だった。

「離すにゃ!!」

「へえ。もう言葉を話せるんだ」
 梓は感心したようだ。でも、掴んだ手を緩めるということはない。

「驚きですね。僕ですら一週間かかったっていうのに」
 リョウはまたまた笑顔で言うが、どこか対抗心を感じるのは気のせいだろうか。

「とりあえず、落ち着きなさいね」
 プシュっいう音がすると、にゃたろうは急に脱力してしまう。
梓の右手には銃らしき物体が握られていた。知る由もないことだが、これは無針注射だった。

「ほら、最初に説明してないから暴れるんですよ」
 取り押さえる必要がなくなったリョウはにゃたろうを抱きかかえて立ち上がる。

「ちゃんと説明したわよ」
 怒ったように梓はいう。

「どうせ薀蓄を並べただけで、基本的なことを簡単に説明しなかったんでしょう」
 あくまで笑顔で毒を吐く。でも、今回は軽め。
核心を突かれた梓は、わかりやすいリアクションを見せてくれる。

「やはり。それでランちゃん。子供服ってあったかな?」

「あ、今から持ってきます」
 言われて気づいた、という感じでランは部屋から出て行った。
そう。少年は何も身に付けていない。生まれたままの姿でいたのだ。そう、生まれたままの姿で。
だから、耳が頭の上に立って、お尻に尻尾があってもおかしいことではないのだ。

「可愛いわね。でも、どうしてみんな美形になるのかしら?」

「プロフェッサーアズサの趣味じゃなかったのですか?」
 リョウも少し驚いたように首をかしげる。

 そう。その少年は可愛らしかった。
そして、可愛らしい足音が部屋に近づいてくる。

 虚ろな意識の中、これは夢だと、生々しい悪夢だとにゃたろうは信じていた。

 

<いい加減に続く……?>


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