静かな朝。日の出と共に徐々に暖められる空気。太陽はその姿を現し始め、空間の照度を上げていく。
日の出から少し時間が経ち、あるアパートの一室の窓に風と光がさし込む。風はカーテンを揺すり、光はカーテンの隙間を縫うように寝ている人物へと伸び、その光に目を覚ます。
「ふぁ………あれ?」
少々寝ぼけた表情の青年は、あることに気がつく。この部屋の同居人である少年の姿が見えないのだ。
「アス、居ないのか?」
返事は無い。つまり、アスと呼ばれた少年が意地悪でない限り、ここにはいないということである。
「全く…今日も姿を見せないのか。最近、多いな」
苦笑…そうするしかない。青年にアスの居場所を掴むことなど出来ないのだから。何せ、同居人であるアスは天才…いや、天災…もとい化け物なのだから。
「さてと。近頃目覚しいらずだな。ま、それはそれでいいことだけど」
ようやくベッドから身体を出すことに成功する。
「こうやってると『春眠、暁を覚えず』だからな。早めに起きておくことに限る。それに、時間の余裕もあるしな」
シャッとカーテンを開き、眩しい世界、この街の景色が目に入る。今日も頑張るとするか、と気合を込める。
この青年の名前はリュート。悠久学園文学部2回生である。
振り返って朝食でも作ろうとキッチンに向かうと、テーブルの上には置手紙が1枚。
「…おい、お前はまだ義務教育だろうが!」
メモの内容はこうだった。『2、3日帰りませんけど心配しないで下さいね。あ、別に世界征服とかそういうのじゃないですから安心して下さい。〜アスより〜』
「おはよー」
「あ、おはよ」
朝の挨拶が飛び交う中、リュートはゆったりとした歩調で登校していた。
「…ふぅ。先月まで、シーラと一緒に登校してたんだよな」
ふと、独り言が口から零れてしまう。やはり、自分はシーラが傍にいて欲しかったのだろうか?
肯定だ。しかし、それよりもシーラの為に留学へ行って欲しいという気持ちのほうが強かった。だから、シーラを見送ることが出来たのだ。
「…我侭か。でも、シーラも頑張ってるんだしオレも頑張るくわぅあっ!!?」
いきなり頭を叩かれて語尾が変になってしまう。頭を抑えながら、振りかえるとそこには見慣れきった人物がいた。
「おいコラ、アレフ、いきなり何しやがるんだ!」
「何って、バカの頭を叩いただけだけど」
長身の美青年はからかうような視線でリュートを見ていた。それをリュートは真っ向から睨み返す。二人とも大体同じ位の身長なので、視線はほぼ等しい高さにで交わされる。
「まぁ、今更そんなことを言っても遅いんだけどな。それに、お前だからシーラを任せられると思った矢先にこれだもんな〜」
「うるさい。オレだってここまで影響するとは思わなかったんだよ」
「泣き言は聞きたくないからな。それに、お前はお前だ」
コツンとリュートの頭を押すと、アレフは早足に先に居たフローネのところへ行ってしまった。
「やあ、おはようフローネちゃん」
「あ、おはようございます、アレフさん」
相変わらずだな、と思いつつ、リュートも再び歩み出した。
(アレフもあれで良いところがあるよな)
自分の悪友のことを考え小さく笑っているリュートも、フローネとアレフのところへ行った。
「おはよう」
「おはようございます、リュートさん」
「げ、何でお前まで来るかな。お前はさっさと行けよ。オレとフローネちゃんの貴重な時間を潰すな」
「何言ってやがる。そんなこと行ってると、アイツが来るぞ」
先ほどのお返しとばかりにリュートはニヤリと笑ってアレフを追い詰める。この遣り取りもアレフだからこそ出来る。
「それがどうしたってんだ。オレのハートはそう簡単にとめられるものじゃないぜ」
「だって、フローネ。お前はどうする?」
「え、私ですか!?えっと…」
急に振られてフローネは困ってしまう。
「皆さん、おはようございます」
フローネの答えを待て居る内に、小柄な少年がこっちに来ていた。
「おはよ、クリス」
「おはよ」
「…あ、クリス君おはよう」
「ところで、何を話していたんですか?」
「いや、いつもながらアレフがフローネを口説いてたんだ」
多少脚色した内容をリュートはクリスに伝える。ここで他のヤツなら冗談にでもなったのだろう。しかし、アレフとクリスである。
「アレフくん」
「ちょっと待てって。オレが何時口説いてたんだ?」
「あれ、お前の口から出るのは口説き文句だけじゃなかったのか?」
そこでフローネが鞄を持っていない右手を口元に当てて笑ってしまう。その姿が可愛らしい。
「オイオイ、冗談はよしてくれよ。オレの言葉はたった80%が口説き文句なだけだぜ」
「アレフ君〜」
悪乗りしてきてくれるアレフにクリスは益々オロオロするばかりだ。
「チッ、クリスがこれ以上堪えられないようだな。リュート、この辺にしとくか?」
「そうだな」
「あ、あれ?嘘だったんですか?」
「はぁ、クリス。もう高等部2年なんだからもうちょっと…な」
「まぁ、そこがクリスらしいんだけどな」
「二人とも酷いですよ!」
アレフが言ってリュートが続く。その言葉にクリスが反応する。この一連の行動をフローネはカヤの外にいるように見て笑っていた。
「ところで、そろそろ行かない遅刻じゃないですか?」
「そうですね」
フローネのもっともらしい意見により、4人は少々早いペースで学校へ行った。
「ふぁ…」
「リュートさん、授業が終わったからっていきなり欠伸をするのは不謹慎です」
「あ、わりいな、イヴ」
「そうそう。何でこんなヤツが成績がいいんだろうね」
「…それは皮肉か?」
ジト目で緑の髪に黄色いメッシュが入っている女性を睨む。しかし、女性はそんなことを気にしている様子は全く無い。
「まさか。だってお前ってホントに成績がいいんだからな」
「そうね。リュートさんは確かに成績がいいわ。ただし、ムラが多いようだけど」
「それは言わないでくれ、イヴ。オレだって気にしてんだから。何であんなに英語が出来ないかな…」
そう、リュートは英語が異常に悪かった。数学や物理、生物などの理数系は学年でもトップクラス、強いてはトップなのだ。しかし、英語はその全く正反対である。
「だけど、事実よ。目をそらすことはできないわ」
「そうそう。ホントよくあんな点数が取れるな。アレフだってまだ良い点取ってるぞ」
「うるせえ」
二人に自分の劣っているところを的確に言われて反論できないのも癪なので、こう言うしかないのが辛いところだ。
「でも、何故リュートさんは文学部を選んだの?あなただったら教育学部や社会学部のほうが良かったと思うのに」
「そうそう。それはアタシも気になってたんだ」
「オレがこっちに来たわけ?」
言おうかどうか迷ってしまった。何せ…下らない理由だったからだ。しかし、この二人を納得できるような言い訳は思いつかない。特に、イヴを前にして言い訳できる人間など数えるほどしかいないだろう。
「…教育学部って先生を目指すところだろ。オレには向かないって思ったんだよ。教師って柄でもないしな」
「確かにそうね。あなたは優しいけど、人にものを教えるというのが苦手そうだから」
イヴの言葉に何か引っかかるようなものを覚えて、続けた。
「それで、社会学部は…苦手なヤツが居るからな」
これが一番言いたくなかった理由なのだ。あまりに子供っぽいから。
「おいおい、全く子供じゃないんだから」
「いいだろ、一緒に勉強したくなかったんだから」
「で、それってやっぱりアルベルト?」
「当然。アイツが居なかったらオレはあっちに行ってただろな」
「リュートさん、人をそういう風に見てしまってはいけないわ。今後の人生に支障が出る可能性もあるかしら」
やっぱりイヴも苦手な部類かと疑ってしまう自分が居る。いや、嫌いとかそういうのではない。どちらかといえば好きなほうであるのだが。
「でも、アタシはそれに感謝してるんだぜ。そのおかげでリュートがこっちに来たんだから」
「それってどういう意味だ?オレに惚れてるのか?」
「バ〜カ、そんなわけないだろ。それにお前にはシーラがいるし、アタシだってもう少し男を見る眼はあるよ」
冗談に対して冗談でエルは返してきてくれた。こういう関係がリュートはアレフにしても、パティにしても凄く好きだった。気兼ねなく時間を共有することを楽しむことが出来るから。
「…そうね。リュートさんといると楽しいということかしら」
「お、イヴもか。良かったな、リュート」
「当然だろ。オレを誰だと思ってるんだ?」
「調子に乗るんじゃないよ、全く」
リュートとエルは大きく、イヴは小さく笑った。
午前中の授業が終わって、リュートは競歩並の速度で廊下を歩いていた。目指す目的地はただ一つ…食堂だ。
アリサという食堂のおばさんが作る料理は美味しくて評判であり、早めに行かなければ並ぶことに。最悪、欲しい一品が売り切れということもありえる。だからこそ、リュートは出来る限り急いで食堂を目指しているのだ。
そして、角を曲がろうとして大柄な人物と衝突してしまった。
「うわっ!ゴメン、大丈夫だっ…って、アルベルトか」
「ウオッ!スマン…ってリュートか」
どちらも同時に嫌な顔になる。二人はこの学校でも仲が悪いと有名なのだ。理由は双方の誤解によるものだが、今はその誤解も解けている。当時ほど険悪ではないが、仲がよくなるということも無く現在に到っている。しかし、かといって互い憎んでいるわけではない。きっかけが無いのだ。
「オイ、言うことがあるんじゃないのか?」
「あ?俺がお前に言うことなんてねーよ」
「人にぶつかっておいてそれかよ」
「オマエが急速度でいきなり現われるからだろうが。そっちこそ謝れ」
「何だと!?」
「やるのか!?」
売り言葉あれば買い言葉あり。時間が経つにつれてどんどん状態は悪くなる一方だ。
「兄様、お弁当がございますのに何故食堂へ行かれるのですか?」
「ク、クレア…」
そんな状況を打破したのはアルベルトの妹のクレアだった。クレアは少々息を切らせて手には大きな包みを持っていた。おそらく、それが二人のお弁当なのだろう。
「おい、クレアがわざわざ弁当を作ってきているんだろ?それを食べればいいじゃねーか」
「そうですわ。リュート様の言う通りです」
「いや、しかし…」
先ほどのリュートへの威勢はどこへやら。すっかり戸惑っているアルベルトが印象的で、リュートの気分は幾分かよくなってきた。
「それとも、私が作ったお弁当は食べられないというのですか?」
うっすらとクレアの目には潤みが出来たような気がする。そのことはアルベルトも気づいて更なる慌て振りを披露する。
「わ、バカ!そんなんじゃないって。もちろんクレアの作った弁当を食べるさ」
「…本当ですか?」
「ああ。俺が嘘を言うはずが無いだろう。貸せって」
そういうとアルベルトはクレアが持っていた包みを奪うと、先ほどクレアが来た廊下を歩いていく。
「ほら、行くぞ」
「あ、待って下さい。それではリュート様、ごきげんよう」
「ああ」
丁寧にお辞儀をすると、クレアは急いでアルベルトの後を追った。
「クレアはあんなにいいのに、何故アルベルトはあんなんだろうな…」
おそらく、クレアに惚れた男が何人も思ったことをリュートも考えてしまう。全く世の中わから無いものだなあと考えていると、あることに気づいた。
「…!!クソっ!あのバカに構っていたせいで時間がっ……」
毒づいたが既に遅し。リュートが食堂に着いたときには、大勢の学生がおり満員に近い状況だった。
結局、リュートは自分の好きなメニューを頼むことを断念するしかなかったのだ。何故なら、自分が食べたかったものは売り切れなのだから。
「あら。リュートくん、今日は遅かったのね」
「はぁ…色々とありまして、アリサさん」
自分の順番が回ってきて、アリサは優しく微笑んでくれる。その姿は聖母のそれに近かく、リュートは癒される。
(アルベルトが惚れるのも無理は無いな)
「それで、今日はどうするの?いつものヤツは売りきれてしまったけど」
「なら、一番残っているヤツを下さい」
わざわざリュートは人気が一番ない品を注文した。いつもそうなのだ。リュートは自分が欲しい物が買えなかったら、少しでも売れていないものの売上に貢献するのだ。
「わかったわ。はい」
「ありがとうございます」
出された食事を受け取り、リュートは空いている席を探した。
「あ、リュートさん!ここ、ここ」
呼ばれたほうを見ると、黄色い大きなリボンが似合う少女がこっちに手を振っていた。
「トリーシャ、そんなに大きな声じゃなくても聞こえるって」
「エヘヘ」
トリーシャのまわりには同じ高等部3学年のビセット、シェール、更に高等部2年のルーティがいた。
「こんちは」
こちらが挨拶をすると、それぞれ挨拶を返してきてくれた。席に腰を落ちつけると、あることに気づいた。もうすぐ自分以外は食べ終わる。食べるのが早いビセットなどは食べ終わっているのだ。
「やっぱ遅かったみたいだな」
「そうだって。リュートは遅かったんだよ。アルベルトと喧嘩してたんだろ?」
「そうそう。あのバカのせいで欲しいヤツが売切れだった」
「アハハ、リュートさんらしいや」
「でも、何で今回はそうなったの?」
「あ、アタシも聞きたい」
シェールにルーティが教化した質問をかわせるはずも無く、食事を一時中断してせ簡単に説明した。
「へぇ。やっぱアルベルトさんってクレアさんに逆らえないんだ」
「そうでしょ。だっていっつも言われっぱなしだもん」
皆が談笑している隙をついて、リュートは箸を進めていた。そうしていると、リュートを除く全員が食事を終えた。
「さとて、それじゃみんな行こうか」
トリーシャの号令に皆が応える。
「どこに行くんだ?」
「体育館だよ。そこでバレーをするんだ。よかったらリュートさんもどう?」
「いや、無理だって。まだ食ってるんだし」
「それもそっか〜。なら、明日は?」
「それなら大丈夫だと思うけど」
「なら約束だからね。じゃ、行こうよ」
「頑張ってこいよ」
リュートは後輩達を見送ると、今度は自分の食事に専念する。
食事を終えても、どこにも行く予定がないので保健室にふらっと足を運んだ。
「ち〜っす」
「何だ、リュートか。で、今日はどうした?」
出迎えてくれたのは珍しく校医のトーヤだった。普段ならディアーナか、ここの常連のアレフやルーやルシードなのだが、その連中が今日に限っていない。
「別に。だかからこうして暇潰し」
「…ここは保健室だぞ。何も無いなら出ていけ」
ベッドに腰を下ろしているリュートをトーヤは軽く視線で射抜く。
「ドクターも酷いこと言うな。ま、邪魔はしないから昼休みが終わるくらいまでいいだろ?」
「仕方が無いな…そういえば、アスはどうしている?」
「アス?アイツなら元気そうだけど」
急にトーヤから同居人のことを聞かれて不思議がったが、知っていることを伝えるとトーヤは「そうか」と一言だけだった。
「アイツに何かあったのか?」
「いや、別に何もないがな…」
リュートをはじめ誰も知らないことだったが、トーヤがアスの存在を一番知っている人物だった。だからこそ、トーヤはアスのことが気になってしまうのだ。
他愛無い談笑で時間は過ぎていき、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、リュートは戻ることになった。トーヤがそれ以上の滞在を許さなかったからだ。
その後、リュートは授業をサボることなく全て出席し、帰りにパティ達と買い物をしてアパートの帰宅した。
「ふぅ…」
溜息が零れる。何故だろう。昔は今ほど溜息をつくことが無かったのに。
「いかんな。オレは弱くなった…」
そんな独り言を呟きながら、パソコンを立ち上げる。このパソコンはリュートとアスとで共有して使っている。
そして、リュートは知る由も無い、この機体が世界最高のパソコンになっていることを。しかし、リュートが使っている限りは普通のパソコンではあるのだが。
瞬時に起動すると、メールのチェックをする。
「さてと。本日は5件か。またメールマガジンばっか…か?」
リュートは目を疑った。1通のメールがそれほど印象的だったのだ。ウィルスを送られてきたときなど比べ物になら無いほど。
差出人はシーラ=シェフィールド、件名はお久しぶりです。
リュートは驚きと喜びに満ち溢れていた。
<END>