導かれし闇(後編)

 

 

 どんどん空間が狭まり、次第に通路となってゆく。白い世界に変わりはないが、あてもない空無にとって通路となっていたのはありがたいことだった。

 距離にして1km離れたと感覚で判断する開けた場所に出た。相変わらず白い世界。純粋を象徴しているかのようだ。

「お前がここの敵か?」

 癒す者と同じように、一人の人物が空間の中央で空無を待ち構えている。

 全身を被うような黒いコート。更に顔を覆い隠すためか、仮面のようなヘルメットを被っている。

「…意外だよ。君が癒す者を既に上回っているなんて」

 冷淡な口調。しかし、どこかで聞いた事がある声音。だが、状況は洞察の時間を与えてはくれない。

「うるせぇ!!俺にはやることがあるんだよっ!!」

 出し惜しみはしない。空無は全力で自らの闇を相手に放出する。しかし、相手には脅威でも何でもないらしい。相手はひどく落胆しているように空無の瞳は捉えた。

「…この程度か。ファイス」

 相手の一言で闇は白い空間に霧散した。いや、正確には白い空間に消されたと言ったほうが正しい。

「君が癒す者に勝てたのは偶然だったのか?」

 相手の言葉は空無の耳には届いていない。それよりも相手の背後に現れたものに注意が注がれていた。気高き純白な人影に。そのことに気付いた相手は、全てが合点いったという感じだ。無論、空無がその事に気付く余裕はないが。

「…なるほど。そういうことか。癒す者はダニアを使わなかったのか」

 興味を失った視線は、確実に空無の貫いている。痛みを伴わない傷は意識を闘いへと取り戻してくれたが、時既に遅かった。

 乾いた炸裂音。反射的に裁く者と自分の間にひろげた闇が霧散する。「その後、とっさに後ろに下がり急激に加速する」

「!!」

 空無は自分が考えた行動を言い抜かされ、身体の動きが停止する。そして、この行動は素人でも何を意味するか理解する。

「隙だらけだ」

 真下から突き上げられる力。いや、力というよりも物体。裁く者がファイスと呼んだ存在の能力。

 空無を弄ぶ現象は、止まる事を知らぬように加速する。そして、天井と思われる物を突き破るが、それでも力をそぐ事は出来なかった。

 朦朧とした意識で唯一わかったことは、星空だ。夜の帝王は顔を隠し、小さな光が主役となる新月の夜。

(前にも、こんな夜があったよな)

 今は感慨に耽っているときではないが、ふと思い出してしまった。身近にいる者との初めての出会い。

 感覚は麻痺している。しかし、即死で無いだけ運が良かっただろう。無意識の内に闇が働いてくれたおかげで怪我はそれほどでもない。しかし、麻痺している感覚に温かくも冷たい感触がある。

「本当にお前か?お前が『破壊者』なのか?」

 どこからか聞こえてくる裁く者の声。しかし、空無にとっては左から右だった。

「これが僕を倒した破壊者なのか?」

 なおも続く裁く者の語り。その間長々と語っていた裁く者が、不意に空無の目の前に浮かんでいる。

「直接記憶を呼び覚ます」

 空無の額に手をかざすと、知らない映像が次々と頭に焼きつけられる。




 小さい子供が二人対峙している。一人は息が荒く、所々怪我をしてる。もう片方はすました無表情で、そんな一人を見ている。

 そして、意を決したのか怪我をしている子供が、無表情な子供に躍り掛かる。が、そこで、漆黒の闇が怪我だらけの子供を包み込む。怪我をしている子供も純白の人影を引き出すが、そんなもの皆無に等しい。

 怪我をしている子供の身体には、今までとは比べ物にならないほどの怪我が身体に刻み込まれている。致命傷とはいかなくても、放っておける傷口ではない。

 しかし、怪我をしている子供の目にはまだ鋭い光がまだあった。そして、無表情な子供がそんな子供に歩み寄っている…。




 「がぁぁああっ!!」

 全身に力が漲る。それに反比例するように感覚や意識が更に遠のいていく。

 闇が、空無を包み込む。そのとき空無を空中に固定していたファイスが、裁く者の声で危機一髪で空無から離れる。

 空を漂う闇は収縮を繰り返し、一つの物体へと進化を辿っている。

「これが、破壊者の真の力…?」

 そう呟くと、闇は完全に存在している。禍禍しい姿。古来鬼と呼ばれた存在に似ていた。表面に光沢があることから、金属かそれに近い物だろう。

「ギッ!」

 異形の者と化した空無は、人間の限界を無視した速度で行動している。その速度に反応した裁く者も只者ではない。

 間髪の攻撃に、裁く者はファイス能力により創り出された壁で身を守る。ドガッっという音と供に、砕け散る壁。そして、空無の拳も砕けるのだが、闇が瞬時に復元している。

「チッ…まさか砕かれるとは」

 ファイスの能力で創り出された壁の硬度は、ダイヤモンドを上回っている。その事に、裁く者の内心は焦っていた。

 そんなことにはお構いなしに、野獣となった空無は闇雲に攻撃を続ける。速度は反則的だが、パターンが単純なために先読みする事が出来る。

 そして、空無の蹴りをかわしたとき、裁く者は初めて瞬時に攻勢に移る。

「はぁぁっ!」

 裂帛の気合を含んだ一撃は、空無の中心を捉え、勢い良く空無を下の元いた空間に叩き込んだ。そして、裁く者は出来るだけ早くファイスに抱かれて下に飛び立つ。

 元いた白い空間には、よろよろと立ち上がる空無がいた。先ほど裁く者が打撃を加えた場所は、罅割れていたものの、徐々に闇が塞ぎ込んでいる。

「あれを耐え切るのか…」

 先ほど空無に加えた攻撃は、裁く者にとって最大級の打撃だった。インパクトの瞬間に、ファイスの能力を用いて信じられない程の硬度を持たせ、速度で空無の身体を粉々にするつもりだった。

「ガッ!」

 傷が塞がった空無は神速の移動で裁く者を捉える。裁く者はそのことを読んでいるかのごとく、重心を低く構えていた。

 決着は瞬間よりも短い、刹那のときだった。互いの拳は的確に相手の身体に密着させていた。しかし、威力に差がありすぎた。

「…また負けましたね」

 裁く者の拳は空無の鎧ともいえる闇を打ち砕いていたが、空無の拳は裁く者の身体を貫いていた。

「………!!!?」

 半分闇の外装が無くなった顔に、驚愕と言う言葉が浮かび上がる。それは、仮面が割れた中にある顔が知っている、いや、ここにいるはずが無い顔だった。

「…バレちゃいましたね」

 こちらの表情の変化に裁く者は優しい笑みを浮かべる。それは、血の気を失っていたが、天使の笑顔だった。

「どういうことだ!!?」

 意識を取り戻した空無には理解出来ない。自分のことよりも、目の前にいる人物が。

「つまり、こういう事ですよ、空無」

 一言一言に生気を失っていくが、それでも笑みを浮かべている。二人を赤く染めている体液は、確実な死を意味している。

「何故なんだよ、戒人…」

 目くじらに熱いものが滲む。語尾は震えて最後の方は聞き取れなかった。そして、ゆっくりと戒人はか細い声で語り始めた。

「…僕は君を監視するために君に近づいた。でもあの初対面は、予定外だったけどね。そして、僕はここの人間だ」

 空無は一言も喋らずに熱心に聞き入っていた。

「それから君が何故狙われるかと言うと、君が最初の成功例だからだ…」

 ここから、戒人の表情は引き締まる。これから語られることの重要さがひしひしと伝わってくる。

「君は、人間ではない。正確には、『守護精霊』と呼ばれる存在と人間の子供だ。それから、ゴホッ」

 口内から夥しい出血。鮮血を滴らせた戒人は、一種の芸術品のように美しかった。儚い美しさだけれども。

「それから、君や僕、癒す者が使った力は『守護獣』と呼ぶ存在だ。守護獣は、精神を器に入れたもの…」

 そこまで語り終えて、急に静けさが漂う。ハッとして戒人を見ると、今にも停止しそうな存在だった。

「…もう、限界ですね。まだ伝えておかなければならない事が、あったのですが。では、さようなら。僕の可哀想な…」

 その続きは戒人の唇から零れることはなかった。何故なら、冷たい唇は空無の唇を塞いでいたからだ。

 初めての接吻は、冷たく、不快な味がした。そして、空無の唇を朱に染めると、戒人の身体から力が抜ける。

 それ以上、もう二度と動く事はなかった。生きる事を止めてしまった肉の塊は、あまりに綺麗で、生きていたとは思えなかった。

 空無の中で何かが罅割れる。堤を破られた感情は、闇をも引き込む。

 静かな激動。加速する感情。認めたくない意識。全てを含めて、闇は包み込んだ。漆黒の闇から、一人の者が現れる。

 禍禍しくも神々しい、黒き翼を持つ人。その身を漆黒の鎧に固め、全てを圧倒する存在。

 その空間には、空無以外の存在はない。美しき死体も、地を染めた紅き花も。静かに、空無だけがいる。

「楽しんでいただけたかな?破壊…」

 それ以上、モニターから何も写し出される事はなかった。モニターはその空間とともになくなったのだから。




「…予想以上だ。ここにくるまで、あと3分もかからないだろう。しかし、面白くなりそうだね」

 先ほどまでモニターに映っていた男は、同じ部屋にいる者に話しかけるが、返事は無い。

「そして、君とどちらが強いのかな、最強者?」

 その声には嬉しさも交じっているようにすら感じる。きぃっとイスを軋ませて、男は立ち上がり、最強者と呼ばれた者の前に歩み寄る。二人の身長差から、最強者は小柄なことがすぐにわかった。

「では、見せてくれ。君達の華麗なる舞を」




 空無は今いる開けた空間まで誰とも出会わなかった。かえって不気味であるが、そのようなことは今の空無には関係ない。

 空無の中にある感情は、負の感情に支配されている。殺意という感情に。

 今度の空間は今までとは少し勝手が違っていた。今までのように白ではなく、空間は真紅だった。燃えるような赤。そう表現するのが妥当だろう。

 空無は背にある翼により重力から解き放たれ、ゆっくりと水平に動いていた。そして、部屋の真中を通過したとき、初めての変化が訪れる。炎の刃だ。

 炎に質量を持たせた刃は、空無の脳天から直接空無を捕らえている。しかし、今の空無にはオモチャに等しい。触れる以前に刃は消失してしまった。

 その間一髪も入れずにすぐさま人影が正面から密着する。信じられない速度だが、空無に致命傷を与えうるにはまだ足りない。突き出された炎は、あっけなく闇に飲まれてしまった。

 そして、一瞬で間合いから外れた者は、今までの敵と同じように全身を黒で固めていた。

「…お前がここの番人というわけか」

 感情を捨て去った声。今の空無は、空無の姿をした野獣に過ぎない。少しだけの理性を持った野獣に。

「…お前を排除する」

 目の前の小柄な人物の声は、空無以上に無機質だった。空無は野獣と言う感情を持ってはいたが、相手は機械のように冷たく、人形だと感じずにはいられない。そうだとしたら、余程の技術だ。しかし、癒す者と違って目の前にいる者は生きている。何故わかると聞かれれば答えられないが、それでもわかった。

「これが君へのプレゼントだ。最後になるかは君次第だがね。では、君と最強者の戦いを見せてくれ」

 今度はモニターが現れず、声だけが空間に反響する。そして、それが合図となった。

「ファルア」

 その一言を堺に、空間の温度は二人を中心として上昇していく。目の前に炎の化身、ファルアと呼ばれし存在が現出したからだ。

 ファルアは、そのままゆっくりと空無に触れる。壊れ物を抱くように優しく、それでいて優雅に。

 「無駄だ」

 一瞬は炎に身を包まれたものの、膨れ上がった闇の餌となるだけだ。しかし、最強者にはそれだけでよかった。これは挨拶も兼ねた目くらましなのだから。

「エンジェル・ヘブン」

 炎の剣が、空無を切り裂く。かろうじて避けられたものの、左腕は本体から切断されていた。しかし、今の空無にはあまり意味のないことである。痛みすら感じなず、傷は闇が復元してしまうのだから。

 だが、最強者の攻撃は斬るだけではなかった。切断された瞬間に、刃に高エネルギーが集中し爆発を巻き起こす。これでは、修復など出来はしない。

 そして、なおも続く斬撃。最強者は好戦の余裕すら見せない。ただ、空無を狙う捕食者に過ぎない。

 次々と失っていく体。少しずつだが修復している。しかし、それ以上に切られ、爆発によって失う。明らかに勝敗はわかれている。

 「…今、負けるわけにはいかないんだよ」

 そう。負けるわけにはいかない。今の空無に一つだけある目的、美夏を助け出すためには負けるわけにはいかない。例えどんな手段を用いても。

 そして、空無は破壊者としての本能でその手段を知っていた。それが自分にとってどれほど残酷なものであるかもわかっていた。しかし、今の空無には残酷ではない。正常な感覚は凍結してしまっていた。躊躇いはない。

「ぐぁああぁっ!!」

 空無の咆哮がきっかけだ。闇はその塗装を揺らめかせ、今一度空無を包み込む。今度は繭ではない。闇の殻だ。その殻の中で失いし部分を補い、そして増殖、進化させる。空無は姿を変え、闇を割ってゆっくりと大地を踏みしめる。

 最強者は動けずに見ているしかなかった。何故か身体が言うことをきいてはくれない。それが恐怖だということは理解できなかった。感情が残っているはずが無かったからだ。そして、変形する破壊者を見ているしかなかった。空想上の生物、竜に変形する空無を。

 意識は無い、本能のみが支配する生物と成り果てた空無にとって、最強者はただの獲物でしかない。紫電の瞳、血に餓えた野獣の眼を最強者に向け一度身震いすると、時が凍る。




 今、何が起こった?身体に穴が開いている。何故?たった今敵が開けた。何故知覚できる?私が最強者だから。最強者とは?あの人に創られし者の称号。創られし者?いや、私は創られし者ではない。では何者?私は、私は…何をしているのだろう?

 全身に苦痛が走る。今になって痛覚が戻ってきたのだ。しかし、声など漏らさない。意味が無いことだ。それよりも感情が混濁する。いや、自分に感情があったのか?そう、私には感情がある。そして…そして、私は…あの人を知っている?

「空無君…?」




 か細い調だった。いや、空気を振るわせてもいないかもしれない。精神だけが言葉となったように。最強者は自らの意思で身体を動かすことも出来ない。動くのは痙攣などの否自立的な動き。

 竜に身を変えた空無は、音も無く今にも消えそうな存在に近づく。もはや空無の意識は封印されている。封じられていたある種の本能が動かす。最強者の傍らで一瞥すると、再び闇はその存在を広げた。

 「残念だよ。まさか最強者が負けるなんて」

 口調からは微塵もそんな感情は感じ取られない。むしろ空無の勝利を喜んでいるくらいだ。今度はスクリーンではなく、実在していた。この紅い空間にその姿を表したのだ。

 街中で見かけるような覇気の無いサラリーマンとは比べ物にならない。ゆったりとした雰囲気をもつ白衣の紳士だった。もう少しで中年と呼ばれる世代になるだろうが、表面からはそう思えない。もし空無に自我があったらなら、驚きの色に染まっていただろう。

 音も無く闇が現われた男に向かって伸びる。しかし、今までのように獲物を仕留めることは出来なかった。

「乱暴だね。せっかくだから完全な姿で対面しようじゃないか」

 滑らかなくせに光沢の無い闇の球体に語り掛ける。この男に応じたかどうかは定かではないが、闇は姿を取り戻し始める。

 闇の球体を切裂いて現われたのは、竜ではなく人型だった。光を完全に吸収する暗黒の光。そう表現するのが正しい。戒人を取りこんだときを進化させたならこんな感じだろう。そう思われる姿と存在感だった。

「美しい…」

「…貴様は殺すっ!!」

 人型となり自我を取り戻した空無は無意識の全力で闇を解き放つ。空無に共感されたのか、闇は賞賛すべき行動だった。男は闇に包まれて消滅…。

「流石だよ空無。まさか僕の力をここまで操れるなんてね」

「何っ!!?」

 信じられない。すでに常識の枷からかけ離れているとはいえ、闇に飲み込まれて生きていたのだ。どういう原理か理解できないが、闇は取りこんだものを消してしまうはずなのに。信じられないことはそれだけではない。

「俺…?」

 闇を引き裂いて現われたのは、男の顔の下から空無に良く似た顔だった。出血を伴ってかなりグロテスクな光景だ。特殊メイクの技術かと信じたくなってしまうが、現実だ。

「…?ああ、そうか。戒人は全部語ったわけじゃないのか。じゃあ、ゆっくりと教えてあげよう」

 傾げた小首を元に戻すと一気に跳躍する。進化を遂げた空無だが、ぎりぎりで感知できる。

「へえ。思ったより成長してる。やはり『最強者』を取りこんだだけはあるね。目的を自分でなくして」

「どういうことだっ!?」

 集中力が途切れる。それは結果を決めることだ。感情、自意識が戻ったということは脆くもなるということだ。

「まだまだだ。チェックメイト!」

 渾身の力が込められた右腕が空無を貫く。腕が貫通しているのだが、出血、痛みすらない。もし出血でもあれば、赤なるこの空間を更に染め上げたことだろう。底知れない恐怖が空無を襲う。

「あ…あぁっ…」

「もらうよ。この力…『ルシフェルの闇』を」

 すっと右腕が引きぬかれ、手には黒い塊が握られていた。それと同時に、空無から黒曜石よりも漆黒の鎧が消失する。傷口すら残っておらず、ここにきたときと同じ格好となり、そのまま床と抱き合う。 

 それと同時に空無と同じ闇の繭が降誕する。その黒き繭はすぐに音を立てて粉々になってしまった。現われたのは、空無とあまり変わらない、良く似た鎧の人影。黒き翼もひと羽ばたきする。

 そのまま、横たわっている空無にゆっくりと手を翳し、闇に包み込む。しかし、空無の闇とは異なる半透明な流動体が、空無に絡みついて直立した状態で蠢いている。それは柔らかくもあるのだが、決して空無をその状態から微動だにしなかった。

「どこから話せばいいんだろうね。じゃあ、順を追って話してあげるよう」

 自嘲気味に、更にからかうように語りかけてくる。耳障りだが、聞き逃すことが出来ない。

「昔、二人の兄弟がおりました。そのうち、弟は恋をしました。それは、禁じられた甘美なものでしたよ…そして、子供を授かりました」

 男が一言一言話すたびに意識が正常に戻ってくる。そして、耳から耳へ流してしまいたいが、内容がそれを拒否してしまう。

「その子供は…空無、君だよ」

「!!!」

 信じられない内容だった。しかし、納得してしまう部分はいくつかある。自分は大門 彰彦の養子なのだから。他にも姉妹はいる。皆が皆、血の繋がりはない家族だ。そこで、理性では納得できても、感情が抗議を申し立てるのを必死で堪える。

「そして、僕の息子だ。因みに、戒人は君の兄だよ。異母兄弟だけどね」

「ふざけるなっ!」

「ふざけていない。まぁ、戒人は息子と言うよりも僕の分身に近いけどね」

「黙れ!どう考えてもお前は俺より少し上ぐらいだろうが!!」

 もっともらしいことを持って反撃するが、効果はない。むしろ、相手が予測していた言葉の爆弾だっただろう。

「僕はもう歳を20年とってないんだよね。禁を破った報いかな。まぁ、そんなことはどうでもいい。それで、僕は君の母親から引き離された」

 どんどん男の声に怒りと言う名のエッセンスが加えられるのは明らかなことだった。ただ、ほんの微量ずつだったが。

「僕はそのときから狂ったのかもね。それから僕は君達に訓練を施した。あの人を取り戻すために。色々なことをしたよ。君達4人には」

「4人ってどういうことだ!?」

「ふふ、誰だと思う?」

 悪寒が電撃となって空無の身体を通り抜けている。当たってほしくない。そう願わずにはいられなかった。

「君に、戒人に、癒す者、そして最強者。いや、美夏と言った方が良くわかるかな?」




 …何かが変わった。視界がブラックアウトしてしまった。闇は確実に空無を侵食する。だが、どうでもいい。もう、どうなっても構わない。今、目的と大切な人を損失してしまった。そして、罪悪感が胸に飛来する。

「消えてしまえ。俺なんか消えてなくなってしまえばいい…」

「…本当にそれでいいのか?」

「え?」

 どこからともなく低い男の声がした。初めて聞く声だ。

「だから、本当に消えてなくなってもいいのか?」

「もう、どうでもいい…」

「そうか。ならばお前は逃げるのだな。この辛い現実から」

「………」

「ならば、勝手に消えてしまえ。お前を想う人物のことを裏切り」

「…何?」

 もう答えは返ってこなかった。疑問だけが空無を取り囲む。今は悲観的なことよりも雑念が勝った。

 ふと、光が見える。この闇の中に光が。暗黒の光ではない、暖かな白い輝き。決して手が届かない場所に。その光を確実に手にしなければならない。本能とも言える空無の直感が教えてくれる。

「あれを手に入れる力が欲しいか?欲しいなら汝、我が名を呼べ!」

 再び、知らない男の声が木霊する。空無は何をすべきか悟っていた。赤子がわからずに行動するように。矛盾が生じていることなど問題ではない。ただ、やらなければならないことだと認識している。

「セクス!」




 膨大な力の本流が質量を帯びる。それは空無を中心に。男は驚いていた。それも数秒とはなかったが、現出には十分な時間だった。

「まさか…君も…」

 男にとっては驚愕の出来事であった。空無が裂帛の気合と共に叫んだと同時に、空無を捕らえていた戒めは消えてなくなった。そして、男と空無以外に人影が増える。長身で、無造作に伸ばした髪が印象的な、ローブを纏った端正な顔つきの男。また、この人物にも黒き翼を所有する者だった。

「ルシフェルの名を汚す者、お前は俺が消してやる…」

 閉じられていた目を見開くと、昏き眼が男を捉え、一瞬にして黒髪から銀髪へと変化する。

 一瞬にして男は後退した。それでも完全にかわすことは不可能だったらしい。だが、無傷でもあった。不可視の力を闇が防がなければ、勝負はついていただろう。

「危ない…もしこっちの力が上回っていなければ、確実にやられていただろう。だが、今度はこちらの番だ!」

 突き出した手から闇が伝ってくる。セクスと空無は悠然とは立っていられない。回避しつつ、セクスは能力を表した。闇が潰されて消滅してしまったのだ。

「クッ、このままじゃ埒があかん。おい!」

 ぐっと空無の胸倉をつかんでそのまま飛翔した。攻撃を避けるためでもあるが、時間を稼ぎたかった。セクスは危険が薄れたことを確認すると、真剣な眼差しを空無にぶつける。

「俺の封印を解いたんだから、覚悟はあるよな?」

「…ああ。ヤツを倒す!」

「なら、俺の宿主になったんだから、死ぬなよ!」

 空無の返答に、セクスは大胆不敵な笑みを浮かべて、敵を見定めた。空無の頭の中にセクスの考えていることがわかった。理由はわからないが、手に取るようにわかった。それはセクスも同じだったのだろう。空無は知らなかったが、これは守護獣と精神がリンクしているためだ。

 空無はセクスから飛び降りると、無謀にも生身で男に立ち向かっていく。その間に、セクスは十指に力を集中させる。

「何を考えてるかわからないが、無謀だね!」

 無謀は百も承知とばかりに空無は全力で闇を回避する。そのまま後退して助走する距離を確保し、一気に加速する。

 空無は時間が稼げればそれでいい。陽動とはいかなくても、それに近いことをしなければ勝機は見えてこない。そして、二度目の闇をかわし、目的は達成した。

「退け!!!」

 頭上にいたセクスが急降下し、右手、左手と交互に振る。その際に、指先に込められた力場が男を囲み、十角体をなして閉じ込める。

「こんなもの!」

 闇が切り取られた空間を無に還そうとで流動し始める。しかし、既にセクスの技は完成していたのだ。

「重圧力(ギガプレッシャー)!」

 限られた空間は重力に堪えきれず場がブラックホール化する。闇は全面から生じる圧力に形を保つことが出来ない。その一瞬後に、黒い物体となって空間は存在した。光沢がない、金属とでもいうべきか。

 強大な力の解放による赤き空間の崩壊。

 そして、空無はそこで力尽きてしまった。セクスの技に空無の精神力が耐え切れなかったのだ。それでも、死ななかっただけ良くやったと言うべきだろう。

 光が、全てを包み込む。




 窓から吹き込んでくる柔らかな風が空無の頬を撫でる。しかし、空無はそんなことを知らない。ただ、意識もなく眠っている。冷房を切って、窓を開けているから暑いらしく、体が少し汗ばんでいる。

 傍ににいた人物が、ゆっくりと腰を挙げて、空無の髪を撫でる。柔らかいが張りがある上等な髪質だ。そのまま手は空無の顔に触れる。

「俺は用事があるから出かけてくる。それまでに意識を取り戻しておけよ」

 言葉ではない意思で伝えると、セクスは白い清潔な部屋から出ていった。

 その数分後、コンコンというノックの後に一人の少女が入ってきた。空無が知っている少女だ。もし目を覚ましていたのなら、驚きに意識を無くしていたかもしれない。しかし、初めから意識を失っているため、関係無い。

 少女は手に抱えていた花束を部屋の備品である花瓶に生けた。夏が近いすることの意味する向日葵が鮮やかで、部屋の空間が明るくなったようだ。

「空無君、まだ目を覚まさないの?」

 顔を近づけて、じっと空無の寝顔を観察する。普段とは違って、寝顔は何だか可愛らしくて幼く見える。その寝顔に、微妙な変化が訪れる。ゆっくりと、目が開かれるが焦点が合ってない。

「…戒人は料理が上手くていつでも嫁に行ける。今日は学校が休みだ…そうなると美夏さんに会えんな…どうしようか?…あ、でも片瀬先輩に会えなくてちょっとらっき〜…でも美夏さんに会えない方が辛いな…」

 寝ぼけているらしく、脈絡も無い意味不明な言葉が空無の口から出てくる。

「あの、空無君?」

 そのことに驚いたのか、少女は空無の顔を先ほどとは違った眼差しで見つめていた。だんだん寝ぼけが取れてきて、意識がハッキリすると、その少女に気付き、思わず抱きしめていた。

「ちょっと、空無君!?」

 コンコン。ノックの後に一人の少年が入ってきた。中の光景を目にして、少年は少し考えた。

「…お楽しみのところ失礼しました」

 そう言って少年はにこやかな笑みを浮かべて、同じ速度で退出してドアを閉めた。

「ちょっと待て!?」

 これらの出来事に空無の頭の処理能力を遥かに上回っていた。




 空無が意識を取り戻す3日前の夜、一般人が知るはずも無い場所にショートカットの少女が一人で歩いていた。いや、一人ではない。お供には空想上の生物の竜、しかもサファイアのような美しい鱗を持った竜だ。

 辺りは、瓦礫と化しており、以前の美しく均一された白い空間ではなくなっていた。歩を進めると、今度は黒き空間となっていた。本来なら血の色をした空間だったのだが、先程の戦闘で変わりきっていた。

 空間の丁度中心部までくると、光沢の無い黒い物体が宙に固定されていた。

「…これは派手にやったわね。リン、壊せる?」

「命令ならやりますよ、マスター」

 少女に応えた竜の声は、清楚な女性の声だった。ということは性別は雌かもしれない。まぁ、どうでもいいことかもしれないが。

「なら、お願いね」

 あどけない、無邪気な笑顔。それは天使と悪魔の両方を想像させてしまう。

「了解しました」

 リンと呼ばれた青き竜は、息吹とともに現われた水の刃を、黒い固体へと走らせる。その一条の切り口から、無数の罅が徐々に全体へ広がっていく。卵が孵るような光景かもしれない。

 パーンという音とともに、黒き卵から滑り出てきたのは空無に良く似た人物だった。ところどころ黒き鎧が破壊されて傷付いており、その物体の威力を現している。

「こんにちは」

「…何故、あのまま死なせてくれない」

 会話が噛合わない。それは当然だろう。男の方は自暴的に喋っているだけなのだ。

「せっかく、死に対する最高の機会だったのに」

「息子達に殺されれば本望ですか?それは凄い愛ですね。自分を犠牲にしてまで生きていて欲しいって思ってたんですから。でも、あなたはまだ死ねませんよ。やっていただくことはあるんですから」

「…貴様らは、まだ俺を死なせないつもりか!!」

 無邪気とはかくも純粋なものだろう。天使も悪魔も純粋なものだ。そして、この少女も限りなく純粋である。

「俺から大切な者を奪い、更に俺の目的までことごとく邪魔をして飼う…」

「あの人は優しいですからね。それに、『偽りの守護獣』などを創って。確かに、『ウィルス』によって誰でも力が手に入りますから軍事には持って来いですけど、それでは意味がありませんよ。意思を持たないんですから。守護獣とは意思を通わせないとね。ね、リン?」

「そうですね。マスター」

 竜と少女の話を黙って男は聞いていた、自分でも自覚があったのだ。それでも研究を続けた。『仮初の生命』の研究を。いや、生命ですらない兵器だ。

「あ、そうそう。あの人がお兄さんにも会ってみたいと思ってますよ」

 少女の言葉は男を驚愕させるには十分過ぎた。男の体から恐怖が滲み出す。

「空無に手を出すな」

「それはあの人が決めることですよ。私達はそれを手助けするだけです」

 少女が浮かべた笑顔は、天使の顔をした悪魔そのものだった。




 戒人は屋上に来ていた。晴天の下に干された清潔なシーツなどが白く羽ばたいている。

「さて、今度は何の用です?統治者…」

「別に大したことじゃないわよ」

 明るい声は自分の背後、しかも少し上から聞こえてきた。振りかえって見上げると、入り口の上に座って手を振っている。

「ただね。これから忙しくなるからその忠告にね。流石にいきなりだと大変だと思って」

「どちらにしろ大変ですよ。どんな理由がありましても、あなた達を敵に回すんですからね」

 苦々しい笑顔をもって答える。

「でも本当に凄いよね、空無君の能力。君はともかく、あの二人まで蘇らしたんだから」

 統治者がいっているのは癒す者と、最強者のことだ。そこから統治者が一気に飛び降りたとき、風が舞って白いシーツで戒人の姿を一瞬見失った。次に確認できたのは、二十歳前後の男だった。長身で、Tシャツがぴっちりとしており、ハーフパンツはショートパンツになってしまった。

「それが本来の裁く者の姿ね。遺伝子操作による人身改良。しかも己の意思で自由に変えられる。でも、そっちの方がカッコイイのに」

「弟と生活するにはあっちの方が不都合だからな。それに、あっちの姿の方が愛着がある」

 笑いながら話をしているが、どちらとも眼は笑っていなかった。

「そう。残念ね。じゃあ、これで失礼するわ。また学校でね」

 そういうと統治者はドアを開いて階段を降りていった。




 理解できない。

  空無は今の状況が理解できなかった。先ほど美夏さんが呼んで来た医師には、「ちょっと混乱してるだけですよ」といわれた。当たり前だ。俺は何もわかっていない。最期の記憶が闇なのだから。それに、美夏さんや戒人まで生きている。

「大丈夫よ、空無君。落ちついた?やっぱり交通事故にあったから、少々気が動転するものね」

 どうやら交通事故ということになっているらしい。ということは夢か?

そうか、夢だったのだ。最悪な夢だったな。全く、俺はSFなものをあんまり信じていないのに。

 美夏さんが帰った後、そんなことを考えていると、ノックが響いてきた。

「どうぞ」

 俺が合図を送ると、戒人が再び現われた。

「おや、もう終わったみたいだね。お楽しみだった?」

「からかうのもいい加減にしろ」

 戒人はクスクスと笑う。

「そうそう。空無の家から連絡があったよ。『今度の夏休みには必ず家に帰ってきなさい。帰らないならこっちから迎えに行く』ってお姉さん達から。まぁ、こんなことがあれば心配だからね。あれ、空無?」

 俺はとんでもない表情だったらしい。しかし、戒人の言葉は俺を変えるには十分過ぎた。

 今年の夏休み、悪夢の始まりはもう少し先に待ち構えていた。

 

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